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千月見

子育てと、たまに仕事の話。スノーボード、キャンプネタが中心。

少し去年からのこと。

少し、去年のことをかいてみる。
なかなか、書く気がおきなかったのですが。


去年は10年つとめた会社で1年後の自分の成長が描けないという閉塞感の打破を目的に退職し、転職した年。
働き方と求められる役割とやりがいとキャリア。
どんな仕事でも、ボーッとしてたらあっと言う間にコモディティ職〜の大波からいかに逃れて価値を出せる、やりがいのある場で仕事できるか、その点においては、ほんとに考えて行動した気がする。

ま、そんな細かいこと考えてる時点で「ちっさいわー」とも思うのはおいといて。

今仕事している場所での「仕事」は常に変化してるし、やるべきことは絶対なくならない。むしろ、増えるばかり。

一昨年末から今後の10年を視野に入れた仕事、働き方の模索でした。

転職活動自体は、職業紹介やってる会社にいたので、自分で実践できるとあって、マーケティング兼ねて楽しかった。「転職エージェント会社の使い方」で講演できるんじゃないだろうか(^^)。

転職先を決めずに一昨年末に退職の意思を伝えた。去年に入って、会社辞めてどうしよっかなー、と考えつつ、動きながら、いろんな打診や最終面談も進んだ。

いろいろ考える中、有給消化で母と3月にローマ旅行。到着初日に現地で申し込んだ1日ツアーのガイドさんから聞かされた言葉に驚く。

「日本の地震、すごいみたいですね。。ご家族とか大丈夫ですか?」。

そう、311の大震災。


私、大地震をリアルに体験してません。
ローマから日本に戻り、見る映像、浴びる映像に茫然、絶句、涙。
そして、大切な友人が福島であらゆる手段を尽くして子供達や近隣の人達を助けるために行動し、頑張っていることを知る。

自分にこの状況で何ができるのか、本当に考えた。

■結果、やったこと
Googleの災害名簿作成のボランティア打ち込み

●たくさんの人達を助ける活動をしていた福島の友人のフットワークを軽くするために、友人のペットのお魚達を100匹以上預かる。

「福島にいく」と言いだした私に向かって、サイキが「それはリスクありすぎ、おれがいく」と言ってくれ、私は自宅で子供達とお留守番になったけども。
当時、東北はガソリン不足の状況。福島にたどり着いて無事大阪に戻って来るために、ガソリン携行缶を手に入れるのがまず、大変。
ネットやホームセンターでは売り切れ。サイキが探し回った結果、親切なガソリンスタンド屋さんが1つかしてくれ、1つは「あげるよ」と。
2つあれば、なんとかなるって事で、食べ物や大阪の水をレンタカーに大量につめて、出発。

確か、3月の20日過ぎ。
「こんな放射線の高いところに来るな、いろんな意味で心配するし迷惑だから」という友人なので、現地についてからはじめて「今、福島にサイキがいってる」と伝える。
現地に着ていった服や靴は、帰りに捨ててくる周到さで。

フラフラになりながらも、緊急車両が行き交う高速を福島まで往復したサイキ。無事に魚達を積んで戻ってきた時は、ほんとにホッとした。
そこからは、慣れてないのに大量・多種のお魚保育園で(特にサイキが)てんやわんやでしたが。

後日、サイキが福島に届けたパックごはんが福島県産だったことを知る。
福島で避難生活を送られている農家の方が「もう、食べられないね」と、涙を流して食べられたそうな。全く狙った訳じゃないけど、切ない気持ちになったなぁ。

あとは
●できる範囲での、寄附
脱原発デモ参加
でした。


仕事の話に戻ると、ローマから帰ってきて、すぐに仕事を決めた。
理由のひとつは「日本の企業が稼ぐことに加担したい」と強く思ったから。

ローマ旅行の時点では、大阪元気にしよう!的な行政の外郭団体と、企業のCSR予算で成り立つエンタメ企業と、今の企業のWeb担当仕事もしくはしばらくプータローで悩んでいたのですが、震災があって、即、決定。
「日本のために稼がないと!」などと思ったのです。

今でもそれは間違ってなかったと思える。

少し仕事に慣れてきた今、ここからの仕事の目標と、個人的な活動もなにかしたい。

個人事業主として、企業の中で働く働き方について、もっとネットワークを持ちたいなぁー、と思う。

ま、当面の課題は確定申告だったりするけど。。

その辺のことも、書いていけるように頑張ろう。
あー、とりとめがなくなった。