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「ここにいたら死んだんだろな。。」
海の中と、この場所に起きた事を想像すると、喉の奥がカーッと熱くなって、目の周りが敏感になる。
何度か自分の奥のスイッチにそういう現象がありつつも、とても穏やかな気候と穏やかな海。波音を聞きながらのボランティアだった。
到着当初はビーチクリーンボランティアと言えども、観光と変わらない感覚が否めなかった。
こっちに来る前は、泣いてしまうんじゃないか、なんて思っていたのに、なんてノーテンキな。だって、とにかく緑が多い。
仙台駅からバス。
高速を降り、緑の多いエリアを通り、今回のボランティアエリア、東松島市の野蒜駅に到着。
爪痕。
ん、これだ。こういう所を見たかったんだ、私。
傷跡の残る光景を期待していた自分がそこにいる。その、少しテンションの上がる気持ちを隠す様に、たくさん写真を撮る。限られた時間でウロウロする。
使われてない駅、曲がる鉄塔、グニャリと曲がった街灯、傷だらけの橋の欄干。
静かな場所だった。
以前は賑わっていたんだって。
駅前に商店が立ち並んでたんだって。
そんな話を聞いても、ピンと来ない。
原っぱの中の、ガタガタの駅。
瓦礫がひしめき合って悲鳴をあげていそうな家並みはパッと見には「無い」。
既に瓦礫は撤去されていて、残された緑の空間と、ポツリポツリと孤立した家が見える。
人が住んでる気配は無く、静かな景色すぎて。
遠くからは静かだったけど、近づくと、生々しい傷跡。
なんでこのままなんだろう。理由はわからない。考えると、切なくなって考えるのをやめてしまった。
駅から海岸までの道のり。地盤が2�4メートル下がってしまったらしい。道路は盛り土されていて、道路脇はまるで池のような場所も多数。
「この景色一体、家があったんですよ」と言われても、ほんと、私にはピンと来ない。既にこの空間は「破壊された後の景色」になってるんだ。
壊れた景色は元に戻らないんだな。。当たり前だけど、しみじみ感じる。壊れた近所関係、壊れた毎日の生活、家族がいなくなった人もいるだろう。
そして、1年半たって、違ってしまった景色。
「復興」ってなんだろか。。
海水浴場に着く。ゴミ袋を受け取り、係りの人の話を聞く。
少し先に見える一軒の家を指差して、「たくさんの家の中で残った家」です、と。
他は、草が生えていて、緑。
ここを飲み込んだ海は今は静か。
砂浜は想像していたより綺麗。おそらく、今までも何回も人の手が入ったんだろう。
でも、海から打ち寄せる波で最近上がって来たんだろうなと思われる家の断熱材のカケラ達。深く埋まってしまって一筋縄では取れない、でかいドラム缶、長いロープ、冬用タイヤ、ワイヤー、瓦、など。普通の浜じゃ見つからないモノがたくさん見つかった。逞しい男性人メインに、スコップで掘ってくれた。「地球との綱引きだ!」とか言いながら笑。
夕方には、浜に打ち上げられた消化器なんかも。
いやまて、良く考えると、この浜の中に人が埋まってる可能性あるんだな。。
波に打ち寄せられたゴミを分別してた時なんかは、鳥の骨が見つかった。
ん、そっか、人の骨が見つかる事だってあるんだな。。。
ゴミを拾いながら、分別しながら、皆でお喋りしながら、穏やかな波音と気候の中で、ここに起きた事を感じる。
切ないこの場の現実を考えると黙ってしまうので、喋る事で誤魔化してる感じ?もあったかも。
今、私がいるこの時でも、亡骸が見つかるのかもしれないんだという、この浜、海水浴場の現実に愕然とした。
静かだけど、今、私は、悲惨で過酷な記憶を持った場所にいるんだな、と。
これを感じる事は大阪ではできない。本当に来て良かったと思えた。
ボランティアでは、仮設住宅の憩いの場で使ってもらう机や椅子作りもあり、楽しい創作活動も。いや、ほんた、久しぶりにペンキ塗って楽しかったわ〜。
やたらと浜で見つかるプラスチックの輪っかは、漁師の方が再利用できるものと聞き、ゴミ拾いが終盤は一転、宝探しゲームになった。宝があると思うと、テンションがあがるのが人間。
帰りは、松島を通って行った。賑わいを取り戻しつつある感じで、次に東北来るなら温泉入りたい〜と思いました。
現地の方々は風化を恐れているそうです。
見に行くだけでも、観光だけでもいい。物見遊山でいいから、行って見る事は本当に大事なんだと思います。
それが、現地の暮らしに繋がり、現地の人が前を向ける理由になるんだな、と。
という事で、自分達はもちろん、時間に余裕のある親世代にはどんどん東北に旅行に行ってもらいたいと思いました。
早速、親や義母に「観光で行ったらいいねん」とすすめてる次第です。
皆さんもぜひ、東北へ☆